今月のどクソ感想文

毎月最初の週末に書いてる読書ブログ、今回から『どクソ感想文』とシリーズ名をつけることしました。ド級にクソい感想文です。セイバーによって読書の波が来ているので(本当に?)今年1年は特に頑張ろうと思います。いや、まだ初めて3ヶ月目だけど。

今回は、盆に書いた読書感想文を殆ど流用します。夏休み中、全然小説読まなかったので。コピペでは無いしブログ用にだいぶ書き換えたので許して。この本も表題作しか読めてないのだが(過去に1度どころか何度も読んだことはあるのですが)。

遠まわりする雛 米澤穂信

古典部〉シリーズ4作目、遠まわりする雛です。先の3作では描かれなかったサイドストーリー的なものが7作収録された短編集です。出会って間も無い春や氷菓事件(シリーズ1作目)解決直後の夏、何気ない秋の日の放課後にすったもんだあった冬を超えて、2度目の春を迎える1年間の物語。1年を通して彼らの距離感はどうなったのかと言うと、それは表題の通り。かなりの遠まわりです。

表題作の粗筋をば。春休みのある日、主人公折木奉太郎の元に1本の電話が掛かる。古典部部長にして、この1年間奉太郎に様々な難題を与えてきた好奇心の権化、千反田えるからの依頼。生き雛祭りの人手が足りないので手伝いに来て欲しい。それを受けて奉太郎は祭りに向かうが、その祭りの当日、事件が起こる。生き雛祭りは、生き雛が集落を回って厄を払うというものなのだが、そのコースになる橋が工事で通行出来ないとのこと。元々、祭りの日は工事をするなと建築会社に連絡はしてあったが、何者かが工事をしても良いと連絡したという。何者とは誰か?動機は?というのが今回の謎。

この作品では、1年を通しての奉太郎とえるの距離感の変化が現れている。

えるは奉太郎に、自分の故郷を見せたかったと言う。決して栄えた街ではない。人も老いて疲れている。そんな街を盛り上げたいと。その手段は2つ。みんなで豊かになるか、みんなで貧しくならないか。えるは前者を採った。その理由を問われた奉太郎は、1年の付き合いから見事に言い当てる。そして、ある言葉が出かかる。しかし言えなかった。

この騒動の直前、バレンタインの一悶着を描いた短編「手作りチョコレート事件」にて、古典部メンバーの福部里志の恋に触れていた奉太郎は、自分の言葉が詰まった原因を、里志がチョコを砕いた理由と同じであると推測する。まあ、この辺の細かい話は実際に読んで頂くとして(チョコを砕いたっての、結構なネタバレだけどね)、端的に言うと『好きだけどまだ言えない。整理できてない』

ということだ。

突然だが俺は『傍から見て好き合ってるのは火を見るより明らかなのになかなかくっつかない関係性』が大好きだ。そうなったきっかけは恐らく、小学生の頃に読んだ奉えるのこの関係性だろう。

纏めに入ろう。と言っても纏める程の事を書いてないのだが。この本の思い出を語るとすれば、俺が初めて『尊い』というものに出会った本ということになるだろう。奉太郎とえるの距離感が絶妙なんですよ。先述の「好きだけど言えない」に至る前、祭りのさなかに、奉太郎は十二単で桜の下を歩むえるに対して、言語化できない感情を抱いている。そしてその日の夕方の会話。なんか一気に関係が変わった感じがする。距離感は変わらず相変わらずゆっくりと近づくのだが、奉太郎が自分の気持ちを自覚したというのが大きい。関係性が変わったといっても作中での2人の接し方は変わらないが、読者の心は一気に持っていかれる。これが美しすぎるのだ。作者自身あとがきで書いているように激変というには緩やかすぎる変わり方をしてきた古典部の1年間だが、最後の最後ででかいのがどかんとぶち込まれるのがこの『遠まわりする雛』なのだ。

 

 

 

超絶脱線するので以下全部読まなくていいが、俺が〈古典部〉シリーズに出会ったのは、角川つばさ文庫の『きみが見つける物語 憧れのハイスクールライフ』という、KADOKAWAの短編作品から3作ピックアップされた本を手に取り、それに収録されていた『手作りチョコレート事件』を読んだことだ。他にはハルチカシリーズの『クロスキューブ』、ハルヒシリーズの野球回のやつ(何だっけ?)が収録されていた。ハルチカシリーズも今の俺の大切な1部である。

もひとつ。『短編』という作品の形態についての話をしよう。短編作品は、大抵は何処かで連載されているものだ。遠雛収録作品も例外ではない。そして、連載というのはシリーズを途中から読む読者も出てくる。俺が『きみが見つける』で『手作り』だけを読んだように、その作品を知らない人が読むことが多い。そういう読者のために、短編作品の最初の数ページは設定等の説明に費やされる。物語を進行しながら説明をする等やり方は色々だが、こういう説明の部分は単行本化された時に鬱陶しくなる。章が変わる事に、主人公は誰か、彼の交友関係は、そもそもの世界観は、とかウダウダと説明が入る作品は多いが、遠雛はそれには当たらない。単行本として7作を連続して読んでも、同じ説明を何度も聞かされて飽き飽きすると言ったことは無い。それでいて説明不足感も無い。このことは、実際にシリーズ途中から触れた俺が保証する。因みにハルチカもそうである。ハルヒは知らん(未履修)。こういう点においても評価が高い。十分な説明をしつつ説明されなくても分かるという人にも不快感を与えない文章というのは本当に難しいものだと思う。

余談が本編以上に長くなったかもしれないが、これで今回の記事はお終いである。今月は時間もあるので積ん読の消化に勤しむとしよう。来月の記事では何について語るのだろうか。